尻草子

頭とお尻を使って読んでください。

「ズートピア」についての文句と、あと諸々の文句。

 GWにディズニー長編映画「ズートピア」を見に行ったのでその感想を。

※殴り書き(打ち)で

 面白かったです。主役二人のキャラは愛らしいですし、物語の展開的にも興味の持続が終盤まで切れなかったですし(まあ正直目新しさを感じるものではなかったけど)。でも正直テーマとか語ってる内容についてはかなり疑問が残るものだったというか、明らかに「は?」ってところ多くないですかこれ?

 この映画、なんというか「ポスト多様性」みたいなところから始まってるのが面白くて、つまり肉食動物と草食動物の捕食関係が、「支配/非支配」のような構造が最初から「解決」された状態(要するに「ズートピア」)からストーリーが始まっているんですが、その中でも温存されているような権力差やその他諸々の関係性を問題に「しようとした形跡が見られる(するんだろうなと思った)」のですが、昨今の「多様性アゲ」みたいなものなんだろうと個人的にはかなり期待度上がった状態で見てたんですよね。

 映画を見る前から「伝え聞く話(後述)」によって「「肉食/草食」というのはつまり人種のメタファーで~」みたいなことを知っていて、ただここでの「人種」というのはあくまで概念的な「人種」であって、実世界に存在する何か具体的な「○○人」といったようなものの象徴ではなく、あくまで「肉食/草食」なわけですね。その証拠にストーリー内で割りと簡単に両者の力関係が二転三転してますし(「草食動物は90%いる」ってセリフありましたがそんなものとしてちゃんと映像内に表現されてましたっけ?)。

 で、まあ主人公のウサギ(よくよく考えたら「か弱いウサギ」「ずるいキツネ」みたいなステロタイプってディズニーなり童話世界のものでしたね。まあでもバックスバニーとかいるか)のジュディが警察になるまで、なった後に置いて受ける差別的待遇って別に「ウサギだから」であって「草食動物だから」じゃないわけじゃないですか(署長はバイソンでしょ)。

 「キャロット」呼びに象徴されるような職業差別であったり、警察というマッチョでホモソーシャルな空間における関係、何より直接的に描かれてたのは「サイズ」ですよね、ズートピアの中にはネズミだけが住んでるミニサイズの街があったり、カフェスタンドにキリン専用の受け取り口があったりする中で、サイズの合わないトイレに落ちたり椅子に座ると机に頭がすっぽり隠れてしまったり(要するにそういったものが「用意されていない」ということ)、劇中「弱い」人物、ジュディ、副市長のヒツジ、カワウソの奥さん、ニック(も比較的小さい)、なんかは度々大きいキャラと同時に配置されることによって生理的なレベルでの「力関係」が表現されていたはずです。

 だのに、中盤出てくるあのマフィアのボス、あの一発ネタのためだけに(ってわけでもないけど)そういうの全部うやむやになって後半の「肉食/草食」っていうレースのあれこれ「だけ」に話が集約していくんですよね。(てか正味「どれだけデカいやつが出てくるんだ、、?」ってもはやスカしとしてすら機能しないくらい手垢まみれなギャグだし、大体今まで何人も殺してるようなやつの協力仰ぐって倫理的にもどうなんだという)

 結局そこから「肉食動物差別をするためのとある人物の陰謀」なんてものすごく狭隘かつ、現実の問題と何も(というかあまり)リンクしてない問題に話が収斂していくわけですねそこから。てか「ポスト多様性」で「肉食/草食」最初から無いよね、って最初からわかってたところに一周回って戻ってくるだけなんですよ。他の問題全部置き去りにして。

 恐らく現実の問題と直接的なリンクをさせないってのは、まあそれはそれである種の「配慮」であって正しい方向のものでもあるんでしょうし、ウェルメイドな部分でもあるんでしょうけど、例えば「肉を食わない肉食動物ってそれってつまりヴィーガンだよね?」ってのを「見せない」んですよこの映画。そういう「上手さ」っておそらくあんまり誠実なものじゃない、し、「見せない」方向だからこそ見えるものってのが尚更気になってくる。

 例えば「役所の職員が全員ナマケモノ」っていうギャグ、あれ本編のオチにも繋がってるし、僕が見たときの映画館でも観客が一番沸いてたシーン(僕も笑ったし)だったけど、ともすればかなり差別的なものとして読み取れますよね?てか、あのシーンで「ジュディが苛立つ」っていうのは明らかにその世界でもそれが「おかしなこと」であるということだし、テーマと乖離してる。あとは軽いミスリードとして使われた(それ自体に対するあれもある)「自然派動物」みたいなもの、ヨガとかヌーディストに対するまなざし、登場人物というより、観客に期待されてるもの、のアレさとか。

 話戻りますけど、何よりこの映画で腹立つのは、結局最初のほうで示された構図化し辛い権力関係が「肉食/草食問題」にスポイルされきった結果、何人ものマジョリティ側の登場人物が何も変わることなく支払うこともなく許されてるところですかね。警察署長も市長のライオンも(こいつにいたっては明らかに黒幕のアレの原因でしょ)ジュディにトラウマ植えつけたキツネも物語上の都合によってフラフラ登場して「自分に自信がなかったから」っておいおい、、っていう(その場にいた両親についても)。

 ジュディが結局警察仲間に認められたのも、そいつらになんら心境の変化があったわけでもなく(そら「ズートピア」なんだからそうだろ)、ただ単にジュディが捜査で結果を出したから、マイノリティの扱い方としてどうなんだだし、土台それ映画序盤の警察学校の短いシーケンスを引き伸ばして同じこと二度やってるだけなんですよ。最後の最後に「お前らは切符係、、嘘だよ」てあの署長絶対反省してねえし。で、「でかい」車に乗って出動する二人を見せてハッピーエンドってごまかし感半端ないでしょ。

 この映画見た直後は大いにハッピーな気分になって、なんというかキャラは「ふわふわ」だし、メインのふたりはいい奴だし、ってでもよくよく考えるとめちゃ途中から話摩り替わってるし、随所嫌な視線が入り込んでるし、でも考えるまで気づかないって「最近のディズニー」の「上手さ」の怖い部分なのかなあと。そういうやエンドロールのとき「ふわふわ」の頭を「でかい」キャラが触ってたよね。

 

 ※追記

「もふもふのボディと~」

http://www.disney.co.jp/movie/zootopia/character/character01.html

 

 ※追々記(5/16)

 どこここで書かれてる感想とか軽い批評みたいなのみたけど、褒めしかなくて驚く、大概アナ雪が引き合いに出されて、吹替えの自社パロディみたいなセリフなんかを「気の聞いたセリフ」みたいなのとして評価してるみたいな、上に(多分)書いてたようにより”普遍的””一般的”なテーマ設定が功を奏したんでしょうかね。

 それはそれとして「黒幕」の話のすり替え感に対する件のツッコミがどこでも見れてないのがちょっと恐ろしいんですが、ありましたかね?何度思い返してみてもあれスケープゴートでは。

 

 

 ~蛇足~

 映画に対する文句はこんな感じです。まあこれは文句というかなんというか、僕が英が見るまでに「伝え聞く」話の量が凄く多くてですね、特に展開的なものについての話ってのはしてなくても、読みとかテーマについて触れられると自分が見るときそれにすごい寄ってしまうってのが嫌でして、まあどれだけ話すかってのは境界を決められることじゃないですし、個々人の自由なんですが。

 このブログタイトルに「ネタバレ注意」とか書かなかったのは「ブログに書いた」という行為の意味と重複するから必要ないだろうと思ったからですね(皮肉です)。